難 民 チ ャ ン プ

漫画家うめのサイト。
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『風の歌を聴け』書評
以下の文章は、米光一成氏「読みのレッスン」講座の課題『風の歌を聴け』(村上春樹)で書いた文章です。
ユリイカくん(@yuriikaramo)主催の「twitter読書会」向けにアップ。まー、興味ある人は読んでくれて、そうじゃない人はスルーってことで。
「2」「30」「31」ってのは、この小説の中の2章、30章、31章のことね。<観察>ってのは客観的事実、くらいの意味で受けとってください。

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この話は1970年の8月8日に始まり、18日後、つまり同じ年の8月26日に終る。

これがこの小説のルール。
ラジオ番組が土曜日である点などから、客観的に日付が求められる章をカレンダーに落し込む。すると、図表[1970_08a]のようになる。9月まで食い込んでしまい、大幅にルールからずれている。

図表[1970_08a](新規ウィンドウで開くで拡大)


もう一度、2を〈観察〉だけで読む。2は村上春樹が書いた文章ではなく、村上春樹が作った「僕」が書いた文章だ。つまり8/8〜8/26の期間に起きたことだけが、主人公である「僕」が書いた「話」であるということ。それ以外は「村上春樹」が書いた「僕」の物語だ。

じゃあ「鼠」という存在はなんなのか?
ここで物語的直感。「僕=鼠」なんじゃないか。
その視点で読んでみると、鼠が僕以外の人間と話しているシーンはない。僕がジェイに「猿」の話をふったとき、となりに鼠がいるのに、鼠にはいっさいふれずに、僕とジェイの関係性に喩えている。彼女が僕の電話番号を聞いたときも、モリエールを読んでいる背の高いちょっと変わった人としか書かれていない。
そして再び物語的直感。「鼠」パートのみがルールに従った「話」だとしたら。
ここで、僕と鼠が直接会った最後のシーンを、ルールに従って8月26日と仮定してみた。鼠が登場する章だけをカレンダーに落し込むと図表[1970_08b]になる。

図表[1970_08b](新規ウィンドウで開くで拡大)


それに、それ以外のパート(以降、現実パートと呼ぶ)を鼠パートと切り離して、再配置すると図表[1970_08c]となる。すると全てが8月中に収まる話となる。

図表[1970_08c](新規ウィンドウで開くで拡大)


「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」を思い出した。あれも章ごとに、2つの別々の世界を書いていた。ときには互いの世界の出来事がシンクロしていたり。「海辺のカフカ」もそうだった。ベートーベンのレコードや、ジョン・F・ケネディの話がそれにあたる。
30に「僕は心に思うことの半分しか口に出すまいと決心した」、そして「思っていることの半分しか語ることのできない人間」になったとある。その失われた半身が「鼠」だ。だから31で「悟り切った」意見を言う僕に鼠が真剣に言う。
「嘘だと言ってくれないか?」
そして僕は、話を書きはじめたのだ。

図表[まとめ](クリックで拡大)


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原稿中なので、雑な仕事でもうしわけないです。
質問等は
@ume_nanminchamp #tw_dokusyokai 
で。
できるかぎり答えるけれど、できなかったらごめんー。
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